ジョルジュ・ブラックとは?ピカソと並ぶキュビスム画家の生涯と代表作品について解説

画家と代表作

ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)(1882年- 1963年)は、フランスの画家であり、ピカソと並ぶキュビスムの創始者の一人として知られています。
幾何学的な形状と抽象性を取り入れた彼の作品は、美術界に大きな影響を与えました。この記事では、ブラックの芸術的なキャリアとその重要性、代表作を詳しく解説していきます。

ジョルジュ・ブラックの生涯

幼少期から学生時代まで

ジョルジュ・ブラックは、1882年5月13日にフランスのアルジャントゥイユで生まれました。港町のル・アーヴルで育ち、ペンキ屋の父のもとで装飾画家の見習いを始めます。

やがて市立美術学校のエコール・デ・ボザールの夜間クラスに通い、18歳の頃にパリに移り住みました。当時は印象派の全盛期でした。印象派の空気にどっぷり浸かりながら育ったブラックは、18歳の頃にモネも描いた《モンソー公園》を印象派のタッチで描いています。

ジョルジュ・ブラック《モンソー公園》1900年

ブラックの生まれ故郷アルジャントゥイユは印象派の巨匠モネの住居があった場所であり、ル・アーヴルはモネの故郷です。なんだか運命的なものを感じますよね。

また、初期のブラックはアンリ・マティスの影響を受け、フォーヴィスム(野獣派)に近い作品を制作していました。

ジョルジュ・ブラック《Yellow Seacoast》1906年

フォーヴィスム(野獣派)とは?
20世紀初頭の絵画運動。ルネサンス以降に主流だった写実主義から脱却し、目に映る色彩ではなく心が感じる色彩を表現する。フォーヴィスムという呼び名は、その激しい色彩とタッチを「あたかも野獣(フォーヴ、fauves)の檻の中にいるようだ」と評されたことから命名された。

1903年、美術アカデミーに入学。この時期、マリー・ローランサンやフランシス・ピカビアと知り合いました。

ピカソとの出会いとキュビスムの誕生

初期の頃のブラックは印象派やフォーヴィスムの影響を受けた作品を制作していましたが、次第に独自の芸術的アイデンティティを追求していきました。

1907年、ジョルジュ・ブラックに2つの転機が訪れます。

1つ目が、サロン・ドートンヌでセザンヌの記念回顧展を訪れたこと。
2つ目が、11月には詩人ギヨーム・アポリネールと共にパブロ・ピカソのアトリエを訪れ、そこで『アヴィニョンの娘たち』を見たこと。

パブロ・ピカソ《アヴィニョンの娘たち》1907年 MOMAニューヨーク近代美術館

ピカソとの出会いが、その後のブラックの芸術的方向性、そして美術界をも大きく変えるきっかけとなりました。新たな芸術運動 キュビスム の始まりです。

「キュビスム」という名前は、ブラックの風景画《レスタックの家》が小さなキューブの集合に見えたことから名付けられました。ブラックは「自然を円錐、球、円筒によって扱う」というセザンヌの理論をもとにモチーフを単純な形態に変換していったといいます。

ジョルジュ・ブラック《レスタックの家》1908年 ベルン美術館

キュビスムとは、モチーフを立方体のように幾何学的に変化させ、再構成することで絵画を抽象的な表現へと変化させる手法のこと。簡単に言うと、「一つの視点ではなく複数の視点から見た面を一つのキャンバスに収めること」がキュビスムの特徴と言えます。

例えば、ブラックの代表作の一つ《マンドリン》を見てみましょう。
タイトルがなければ何が描かれているか判別できないほどに、非常にたくさんの視点から描かれています。

ジョルジュ・ブラック《マンドリン》1909-1910年 テート・ギャラリー

ブラックとピカソによるキュビスムの発明は、美術界に大きな衝撃を与えました。

ジョルジュ・ブラックの晩年/メタモルフォーシス

晩年、新たな表現方法を模索していたブラックは、1961~1963年に「メタモルフォーシス(metamorphosis)」というシリーズに取り組みます。
このシリーズは絵画や彫刻といった純粋芸術に留まらず、ジュエリーや陶磁器といった様々な形態を取りました。

ジョルジュ・ブラック《ペルセポネ》1963年 サン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラック-メタモルフォーシス美術館

ジョルジュ・ブラック《ヘベ》1961-1963 サン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラック-メタモルフォーシス美術館

1963年、当時のフランス文化大臣アンドレ・マルローはこれらのジュエリー作品を「ブラック芸術の最高峰」と賞賛しました。

ジョルジュ・ブラックと鳥のモチーフ

1949年頃からブラックの作品に「鳥」のモチーフが出てくるようになります。
飛んでいたり、巣を作っていたり、群れていたりと、さまざまな形態の鳥を制作し始め、数年後の 1955 年には、ブラックはフランスのカマルグにある鳥類保護区を訪れ、このテーマへの関心をさらに深めています。
飛んでいる鳥の抽象化された形は、アーティストにとって重要なモチーフとなったのです。

十字架のようにデフォルメされた鳥はルーヴル美術館の天井に飾られています。

ジョルジュ・ブラック《Plafond : Les oiseaux》 1953年 ルーヴル美術館
(※ルーヴル美術館公式サイトの画像をもとに少し見やすく調整しています)

ジョルジュ・ブラック《Oiseaux》 1962年 

ジョルジュ・ブラック《カライスとゼーテス》 サン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラック-メタモルフォーシス美術館

ジョルジュ・ブラックの名言

ジョルジュ・ブラックはたくさんの名言を残した画家です。その中の一部をご紹介します。

Truth exists, only falsehood has to be invented.
真実はもとから存在している。 偽物は誰かが作らない限り存在しない。

Art is polymorphic. A picture appears to each onlooker under a different guise.
芸術は多様だ。一枚の絵が、見る人それぞれに異なる装いをもって現れる。

There is only one valuable thing in art: the thing you cannot explain.
芸術において唯一価値があるのは、説明ができないものである。

Painting is a nail to which I fasten my ideas.
絵を描くことは、自分のアイデアを留めておく釘である。

ジョルジュ・ブラックの作品ギャラリー

ジョルジュ・ブラック《ヴァイオリンとパレット》1909年

ジョルジュ・ブラック《ヴァイオリンとパレット》1909年 ソロモン・R・グッゲンハイム美術館

ジョルジュ・ブラック《ポルトガル人》1911年

ジョルジュ・ブラック《ポルトガル人》1911年 バーゼル市立美術館

ジョルジュ・ブラック《トリプトレモス》1961-1963年

ジョルジュ・ブラック《トリプトレモス》 サン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラック-メタモルフォーシス美術館

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